オリンピックが終わってしまいましたが余韻に浸りながらネットでいろんな記事を見ていたときに見つけた記事で、柔道フランス代表のテディ・リネール選手が自身のSNSを更新し、混合団体決勝の代表戦を戦った斉藤立選手にメッセージを送ったとのこと。リネール選手は斉藤選手に「最後の試合を終えて、あなたの印象的なプレーが対戦相手の尊敬、そして私の尊敬を集めたと断言したい。あなたの決意と闘志に感銘を受け、畳の上であなたにお会いできて光栄でした。挫折は私たちの進歩の不可欠な一部であり、勝利と同じかそれ以上のことを教えてくれることが多い。私は、あなたがさらに強くなって戻ってくると確信している。また会えることを楽しみにしているよ!」と投稿したという内容。相手をリスペクトし自分の言葉で発信できる素晴らしい人格を持った方ですよね。自分の勝利に固執するだけでなく相手を思いやる心に感動しました。そしてメダル確実と言われながら残念な事に敗れてしまった選手。その時に思い出したのが、高校野球のコラムを見ていたときに大阪桐蔭西谷監督が2年前の夏に破れたときのコメントとして「絶対王者」として、勝つことだけが全てだと背負い込ませてしまったのではないか。勝敗は目指すことに価値があり、最も大事なことはその過程の中で何を得られたかだ。その経験が先の人生に生きていく。「高校野球は教育の一環」というが、結果を残すために甲子園が存在しているわけではく、成長の場としての甲子園に価値があるはずだ、と言う言葉でした。残念な結果に終わった選手は、人間成長の場としてのオリンピックであり今後の人生に於いて進歩に不可欠な一部であったと言えるようになって欲しいと思います。

今回もあるFBに載っていた言葉を一つご紹介したいと思います。
「どうせ無理だよ。どうせ勝てないよ。そんなあきらめの声を気持ちよく裏切って、奇跡の勝利の瞬間を見せてくれる人たちがいる。あきらめたらそれまでで、奇跡は現実に起きている。常識は変わる。歴史は変わる。どうせ無理より、どうすればできるのか。常識という鎖を断ち切って、目の前の壁を乗り越えてゆこう。」
「どうせ」を「どうにか」に。「どうせ」を「どうすれば」に。「どうせできない」という考えを「どうにかできないか」という問いに変えてみてはどうでしょうか。「どうせ無理」というあきらめを「どうすればできるか」という問いに変えてみるのも必要だと思います。「どうせ無理」では、未来の可能性は閉ざされますが、「どうにかできないか」にすれば、未来の扉が開かれるのではないでしょうか。常識が変わる時、あきらめの悪い人たちがそこにいると思います。わずかな可能性を信じる人たちが必ずそこにいます。今回のオリンピック体操男子団体の金メダルも最後まで諦めない強い気持ちが大逆転での金メダルに繋がったと思います。あきらめない気持ちを大切にして未来に向け希望を抱いて新たな扉を開いていく事が大切だと感じました。