先日の日曜日、朝早く目が覚めたので7時頃に千秋公園に行ってきました。曇り空でしたが、新緑も濃く気持ちの良い朝の散歩となりました。同年代くらいの方や犬の散歩の方が数名いた程度でゆっくりと時間を過ごす事が出来ました。残念ながらツツジはもう終わっていましたが、木々には綺麗な緑の葉が元気よく芽を出していて神々しさも感じることが出来ます。ゆっくりと見てみると、かなり年数がたっていると思われる巨樹もたくさんあり千秋公園の素晴らしさがうかがえます。また管理が行き届いているのかゴミ一つない公園で気分良く散歩をすることが出来ました。市民の憩いの場となっている公園ですので市民もマナーを守り綺麗な公園を守り続けて欲しいと思います。今年も最近、熊が出たようですが落ち着いたら小泉潟公園にも行ってみたいと思います。
今回もあるFBに載っていた言葉を一つご紹介したいと思います。
「現実に起きた出来事をどう意味づけるかによって、人生の幸・不幸が決まってくる。雨が降る。やっかいな雨だな、とイライラする人もいれば、恵みの雨だ、と喜ぶ人もいる。辛い出来事が起きる。なんて自分は運が悪いのだと、ふてくされてしまう人もいれば、この逆境が自分を成長させてくれると、黙って努力を続ける人もいる。その現実をどう意味づけるか。人生はその意味によって、決まってくる。」
人は、現実に意味づけしながら生きているのではないでしょうか。その「意味づけ」が1本の糸となり、その糸が、その都度その都度、毎日、毎日、織り合わさって人生の「物語」となっているように思います。「無くて七癖」と言いますが「思い癖」「意味づけの癖」が人にはあると思います。「意味づけの癖」によって物語のトーン&パターンが決まってくるのではないでしょうか。意味付けには悲観的か楽観的か、否定的か肯定的かと分かれます。どんな傾向を自分は持っているのかに気づき、その気づきを活かしていけば、「物語」はいつでも変えられるのではないでしょうか。人生とは何歳からでも変えられる現在進行形の物語だと思います。そういう意味では、いつでも自分自身は脚本家なのではないでしょうか。現実への意味づけをポジティブに捉え大切にしていかなければいけないと感じました。